副作用のない抗がん剤ができたら この世の中の病気の事情はどうなっていくのでしょうか。
「命には限りがあります」
だからいろんなこをを想像してしまいます。
「がん」を病気としてとらえたならどうなるのでしょうか?
「がん」を状態としてとらえたならどうなるのでしょうか?
みなさまのお考えをぜひ僕にお聴かせください!
未来の話はこれぐらいに。
「今」がんを発病されて日々不安をかかえられている人たちに対して何ができるでしょうか?
児玉先生に限らず、医療に従事している人は知っています。
「抗がん剤の毒性は体を壊す」という事を。
副作用がつらいから「抗がん剤」を治療に用いないのでしょうか?
リスクを冒しても目的を果たしたいチャレンジ精神の多い人も多いです。
外科的に腫瘍を切除すること。
放射線や重粒子線。
「抗がん剤」を用いないで、生き方や口にするものを変えること。
様々な選択肢があります。
腫瘍の部位、形状、進行度、などにより選択肢は色々あります。
逆に全てのがんを薬で治療することができたとしたら、「がん」があったことによる「恩恵」を享受することはできなくなります。
「がん」があったことによる恩恵とは、まるで世界経済の縮図のようでもあります。
NPO法人ネットワーク地球村の高木さんのお話を聴いた時に感じました。
平和や環境問題と同じだと。
生きている状態に応じて体のどの部分にエネルギーを多く集めるかを決定しているのは自分自身の本能です。
自分がどうしたいのかによって決められているといってもいいと思います。
「がん」にありがとうを言いたいと思う事が増えているのは、
「がん」がなかったら、おそらく他の臓器が壊れていたのではないかと思うからです。
経済大国に富と権力が集まるその裏には何があるでしょうか。
人の体にも同じようなことが起きています。
ゆえに「がん」の発症が多いのは圧倒的に裕福な先進国です。
だからこそ「自分の体の事を 他人任せにしない」で、と思うのです。
よく「感謝をしなさい」とか「ありがとう」を言うといいとかいいます。
やりたいことをすると良いよともよく言われます。
それをただするのではなく、どうしてそれをすると良いのだろうと、自分なりに考える事が大事なのだと思います。
職人さんにしても、師匠からこれはダメだといわれて、どこかダメだったのか考える事が大事なのだと思います。
伸びるタイプと言われる人の共通点はそういう所にあるのではないえでしょうか。
自分の体が、不自由なく機能している事は、それ自体がすごい事です。
病気になる事もあるでしょう。
すぐに良くなったとしたら、それはそれだけですごいことです。
なかなか良くならなかったとしたら、それなりに理由があるはずです。
変えることができない事もあるでしょう。
自分がどうするのか、どうなりたいのか。
そして一緒に治療に携わる医療人も重要だと思うのです。
僕は「その気にさせる」事を意識しています。
「自分の体を大切にしたい」、「いたわりたい」、という気持ちにさせるような医療がいいなと思うのです。
そうなるためにはどうすれば良いかを日々考えています。