GOブログ

治療方針

お薬、漢方、健康のお悩み
お気軽にご相談ください。

046-261-1380

10:00〜19:00
定休日:日曜・祝祭日

メールでのお問い合わせは
こちら»

  • Twitter
  • Facebook

漢方たなうぇぶ>GOブログ>かっこちゃんが 私や友達の事をメルマガに書いてくださいました

かっこちゃんが 私や友達の事をメルマガに書いてくださいました

胎児の世界

三木茂夫さんの著書

「胎児の世界」

先日、かっこちゃんをお招きして講演会を主催した時に、かっこちゃんと色々な話をしている時にこの本をご紹介しました。

メルマガにその様子を書いてくださったので、以下引用させていただきます。

第2206号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと
2015年8月20日現在 参加者人数6388人

このメルマガを初めて読まれる方へ
メルマガの生い立ちをこちらのページに書いていますので、ご参照ください。
http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html

今、バンコクへ行く飛行機の中です。関さんがおっしゃるには、やはり、あまり、イ
ンターネット環境はよくないそうです。だから、送れるときに、何日か分まとめて送
れるといいなあと思います。

飛行機の中で、私は不思議なことを考えています。
先日、東京大学のお医者さんの稲葉俊郎さんとの対談のときに、稲葉先生が2歳くら
いのときの記憶についてお話しをしてくださったのです。先生はとても身体が弱くて、
そのころずっと入院をされていて、看護士さんが家に帰らないでずっと入院している
稲葉先生のことを「可哀想」と言われたのだそうです。稲葉先生は僕は可哀想なのか
な?と一日考えて、でも、母はずっと隣で寝ていてくれるし、姉も父も来てくれて、
すごく愛されてるから、僕は幸せで、生きていていいんだと思ったと話してください
ました。そして、記憶というのは、必要なときに、必ず思い出すんだねとおっしゃい
ました。そして、胎内記憶のようなことも言われました。

私は胎内記憶というものかどうかはわからないけれど、そして、これが本当に記憶な
のか想像だったのかも、今ではもうわからないけれど、身体の感じとしてしっかり覚
えていることがあるのです。それは、私が一個の細胞だったときなのか、もっともっ
と昔の宇宙がただ一点だったときなのか、もっと違うときなのかはわからないけれど、
私の身体の奥の方から、どうしても二つに分かれなくちゃならない。分かれたいとい
うエネルギーというか感覚がわきおこってきて、そして、分かれる(細胞分裂する)と
いうその感覚の記憶があります。たった一個の細胞だったとしても、それが私すべて、
私自身だという記憶なのです。その感覚をはっきりと思い出したのは大学生のときで
した。いえ、それ以前もあったのかもしれないけれど、大学生のときにはっきりと意
識して思い出したのです。

大学は理学部でした。そして、天然物科学研究室にいました。天然にある物質がとて
も有益だったときに、それを天然にあるものから作り出そうとしたら、トラックいっ
ぱいからほんのちょっとしか作れないときに、似た構造の物質はすぐに作れるとした
ら、そこから、化学的にまったく同じ化学式を持つ、同じ物質を作り出すといった研
究室でした。ある決められた温度で、決められた時間熱したり、(時間や温度は、自
分で、決めるのですが)物質を加えたり、抽出したり、いろいろな方法をとるのだけ
ど、どうしたらできるかを調べているので、違うものができてしまったり、反応がす
すまなかったりするのですが、実験がうまくいって、できあがったものが、純粋であ
ればあるほど、液体は、結晶化したくてたまらなくなって、ちょっとでも、振動した
り、ガラス棒でガラス壁をこすると、あっというまに全体が結晶化するということが
あるのです。

私は、今、この物質はすごく結晶化したがってるという感じが、なぜかわかったよう
に思います。それがなぜわかったかというと、身体の奥の方から何か不思議なエネル
ギー、たぶん、命というエネルギー?あるいは約束?が分かれたがっている感覚と似
た感覚を、目の前の物質が持っているように感じたのです。稲葉先生とおしゃべりし
ていたときに、私はまたその記憶について思い出しました。記憶とはどういう引き出
しにどんなふうに入っているものなのでしょう。

そして、そのあと、私は田辺薬局さんが企画をしてくださって、講演会に呼んでくだ
さったときに、田辺さんにある本を教えていただきました。それは三木茂夫さんの
「胎児の記憶」という本でした。副題は「人類の生命記憶」。この本の話を聞いたときに、
私はどうしても、読みたいと思いました。そして、けれど、本はなかなかとどかなく
て、旅に持って行けないかなあと思ったけれど、前日にうれしいことにとどいて、
持ってくることができたのでした。本を開いたとたんに、まだ、中身もぜんぜん読ん
でいないけど、この本のとりこになりました。

まえがきから、このような文章があります。
<引用ここから>・・・・・・
校庭の1本1草の、その姿かたちが、幼い日々を通していつしかこのからだに入り込
んだように、記憶とは、本来、回想とは無縁の場でおこなわれるもののようだ。いい
かえれば、人間の意識とは次元を異にした、それが「生命」の深層の出来事なのである。
アメーバの視野にまで広がる生物の山なみを舞台に、悠久の歳月をかけた進化の流れ
の中で、先祖代々営まれ、子々孫々受け継がれてきたものでなければならない。人々
はこれを「生命記憶」と呼ぶ。
<引用ここまで>・・・・・・

私の中に確かにあるこの細胞が分かれたいという感覚の記憶は「生命記憶」なのだろう
か? 私は飛行機の中でも、なかなか眠れずにこんなことを考えています。
もうひとつ、私が記憶についてずっと思っていることがあります。宮ぷーや、子ども
たちが、意識を回復させていく過程で、記憶について、ぼんやりとこんなふうなこと
かなあと感じていることがあります。
それは、私たちの脳は、脳幹などの原始脳の部分と、大脳新皮質の部分に大きくわか
れていて、意識や気持ちというものは、この二つの部分の統合からできているような
のです。(でも、脳幹の部分の脳波はとれにくいので、脳幹からつながった思いは右
脳にあらわれるので、原始脳が活発になると、右脳が活発になるということがあると
思います。)

そして、記憶の引き出しもこのふたつにあるのだろうかと私は思います。宮ぷーが、
自分の思いをレッツチャットなどを使って、自分の言葉で話をし出す前、宮ぷーは確
かに、目をぎゅっとつぶったり、ね、というと、うんというような合図を送ったりし
てくれていました。そして、その答えはちゃんと合っているように感じたし、たぶん、
記憶みたいなこともあって、ある日、臨死体験について宮ぷーに尋ねたときに、臨死
体験した?と聞いたら頷き、誰か出てきた?と聞いたら、お父さん?と聞くと頷き、
おじいちゃんは?と聞いても頷かなくて、その次の日に聞いても同じだったというこ
とや、他にも、私とのあいだでいろいろな話がちゃんとつじつまが合って行われてい
たのです。

けれど、首が動き出して言葉を綴れるようになったとき、宮ぷーはそのあいだの記憶
はまったくなくて、初めてはっと気がついたのは、妹さんが、ノートを見せて、どっ
ちがいいの?と聞いて、首で返事をしたときだと言いました。私が、言葉を使い出す
前は、脳幹の部分が活発で、脳幹の部分に記憶していたのかなあと思いました。そし
て、大脳が活発になってくると、脳幹の部分は押さえられて、大脳の中の引き出しに、
アルバムのように記憶されていくのかなと思いました。でも、自閉症のお子さんと出
会ったときに、その両方を活発にすることができるのだろうかと感じました。生まれ
てすぐの記憶ももっていて、悲しかったことを思い出してさめざめと泣いているお子
さんがいたり、目が見えないお子さんが「僕は細胞で見えています」と筆談で綴ってく
れたこともありました。

もうひとつ、私は、田辺薬局さんが呼んでくださったときにお会いした、気を扱うこ
とのできる方が教えてくれた言葉を思い出しています。
その方は、私が座っていたら、「かっこちゃんは、気があまり滞っていないので、よ
けいなお世話かもしれないけれど、ちょっと触らせてね」と言われて、両手で膝をさ
わってくださいました。私はいろいろなことがわからないし、気もあまり感じられな
いけど、なんだか温かいなあと思いました。その方に「私も気が使えるようになった
ら、宮ぷーに、してあげられるんだけどなあ」と言いました。そして、こんなことを
言ったのです。「お友だちと気が使えるようになろうと言って、両手の真ん中に上か
らつるした円形の紙を置いて、右回りとか左回りとかに念じたらそうならないかとし
てみたけど、ちっともうまくいかなかったんです」と言いました。

そうしたら、その方は「かっこちゃんはもう知っているはずだよ」と言ったのです。
「回そうとしたら、回らないよ。どのものも、自分が動きたかったら動く。動きたい
ように動くよ、僕たちはゼロになって、気を通すだけ」そう言われました。そうだ、
イネイトの春木先生も、「木村先生はいつもゼロにならないといけない。邪魔をして
はいけないとおっしゃる」と言われました。それはきっと身体でも、丸い紙でも、た
ぶん、液体でも、細胞でもなんでも、気持ちというか、意識というか、魂というか生
命というか、そういうものが、なすべきものを知っていて、有るべき姿を知っていて、
そうなろうとすることを邪魔してはならないということなのかなあと思います。たと
えば病気なら細胞が治ろうとする力、細胞なら増えようとする力、物質なら結晶化し
たいという気持ちを邪魔してはならないということなのかなあとか、そんなことを、
日本からバンコクへ行く飛行機の中で考えています。

ところで、JALの飛行機の中で、お飲み物は何にしますか?と聞いてくださった方
は日本の方ではないようでした。ジュースは、リンゴとオレンジとキウィのジュース
がありますとおっしゃいました。私は「Could you give me キウィジュース?」って
言いました。そうしたら、その方が「とても上手な英語です」って褒めてくださって
すごくうれしかったのです。この旅ははずかしがらずに、英語を使ってみます。

ところで、なぜだかわからないけど、窓の外にずっと光の点点が続いて見えます。
いったい何の点点なのでしょう。夜景ではなくて、大きめの光。飛行機は高いところ
を飛んでいるはず。イカ釣り船にしては、光の点点が近くに見えすぎるのです。もう
何時間も、その点点が見えています。
それでも、バンコクへ近づいているようです。今、飛行機内の灯りがつきました。
そしてバンコクのホテルに着いたのは1時をすぎていて、お部屋に入ったのは1時3
0分でした。モーニングコールは3時50分とのこと。どうしようかなあ。お風呂に
入ろうかなあ。寝ようかなあ

かつこ

~~~~~~~~~~~~~~
プロジェクトのページ(こちらでメルマガ登録=プロジェクト参加できます)
http://www.mag2.com/m/0001012961.html
携帯からは空メールを送れば登録できます。a0001012961@mobile.mag2.com
このメルマガは脳幹出血で倒れ、これまでの医学の常識では再起不能と思われていた
宮ぷーの病院での毎日を、親友の山元加津子が綴った日記からその一部を配信してい
ます。宮ぷーの願いは自分の経験を通して意思伝達装置のこと、リハビリのやり方を
工夫することで回復していくことをみんなにお知らせすること。その願いの実現に近
づくようにこのメルマガを広めることにお力を貸して下さい。お友達に転送お願いし
ます。詳しいことは、こちらのページをお読みください。
http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html
(関連ページ)
宮ぷー レッツチャットで、今日もおはなし http://ameblo.jp/miyapu-ohanashi/
おはなしだいすき http://ohanashi-daisuki.com/
白雪姫プロジェクト http://shirayukihime-project.net/
~~~~~~~~~~~~~~

引用はここまで。

白雪姫プロジェクトの事もぜひご覧になってくださいね。

三木先生のこの著書を読んでいると、色々な事を考えます。

身体が変わるときは、一度パフォーマンスが低下する事があります。

胎児の世界でいうなら、単細胞生物から、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類という生命誕生からの進化の過程を、胎児期十月十日の早期に進化成長するわけですが、哺乳類になっていくまでに、命を落としてしてまうのではないかというような、生命の危機に瀕するタイミングあるそうです。

これは、私達が生れ落ちてからも、乳児期、幼児期、壮年期、更年期、高齢期、死という体の変化の間にも、胎児期ほどではないにしろ、体調の不良という形で表れているのではないでしょうか。

そんな事をふと考える日々です。